2012年12月9日(日)
2012年度、横浜青葉リーグ納会の送辞、答辞を紹介
荏田ソフトグランドで横浜青葉リーグの2012年度納会が行なわれた。その時の送辞、答辞を紹介する。
送 辞(リトル)
卒団生の先輩方、ご卒団おめでとうございます。
先輩たちと一緒に戦ってきたこの一年は、苦しい練習や、厳しい試合の中で得た、様々な経験とたくさんの思い出がいっぱいです。
秋には逗子リトルとの接戦を勝ち抜き、ミサワ杯二連覇を成し遂げたことで、最後まであきらめない強い気持ちを持つ事の大切さを知りました。
全日本の県予選決勝リーグでは、あと一歩のところで、全国の切符を逃しましたが、その時の悔しさをバネに、全国選抜大会の出場を果たすことが出来ました。
どんなに苦しい場面でも、あきらめないでチーム一丸となって戦い抜き、勝利した試合を何度も経験しました。
僕たちは、先輩たちと一緒に、横浜青葉リトルの伝統と、歴史を刻めたことに感謝しています。
全国という大きな舞台で、つちかった経験を生かし、目標としている全国制覇に向かって、努力と感謝の気持ちを忘れずに、精いっぱい頑張っていきます。
先輩方も、これから、いろいろな方面に進みますが、リトルリーガーとして学んだ事を忘れずに、横浜青葉の誇りを胸に、
いつまでも、僕たちの、あこがれる先輩たちでいてください。
平成24年12月9日
横浜青葉リトルリーグ 主将 安松 将
答 辞(リトル)
リトルの卒団生七名を代表してお礼を申し上げます。
六年生の皆さん、今まで一緒に戦ってきてくれてありがとうございました。
昨年秋のミサワカップで優勝し春の全日本大会で目標の全国大会出場を目指しましたが結果は三位に終わりました。
続く全国選抜大会で最後の全国大会への切符を手にし全国大会では二対三で大東リーグに初戦敗退という悔しい結果に終わりました。
僕達が初戦敗退に終わった「全国大会」で優勝するという僕達の夢を託します。そのためには、毎日の練習を忘れずに行なってください。
最後になりますが、今までお世話になった監督、コーチ、両親には、感謝の気持ちでいっぱいです。
僕たちも、それぞれの道で、六年生のお手本であり続けたいと思います。
平成24年12月9日
横浜青葉リトルリーグ卒団生代表 佐藤 駿(代読大鹿雅之)
送 辞(シニア)
いつも僕たちをリードして下さった37期生の先輩の皆様、ご卒団本当におめでとうございます。
自分たちにとって先輩方は大きな目標であり、また勝利に向って共に汗を流し戦った仲間でもありました。辛かった練習も先輩方の頑張っている姿や笑顔に、はげまされ、
乗り越えてゆく事が出来ました。
夏の第40回日本選手権大会では、先輩方のチームワークはどこにも負けないということを見せて下さり、見事ベスト16に入るという、
輝かしい戦績を残されました。そこで改めて先輩方の凄さを知り、僕たちも先輩方のようになりたいと思いました。
そんな先輩方から学んだことを胸に、これからの横浜青葉シニアを背負い全国制覇を目指し頑張ってゆきたいと思います。
最後になりますが、37期のご父兄の皆様、この2年間、僕たちが野球のできる環境を、作って下さり、本当にありがとうございました。
先輩方も新しい環境になり、いろいろな困難が待っていると思いますが、きっと乗り越えてゆけると思います。
僕たちにとって、37期の先輩方と一緒にプレー出来たことは、誇りであり、かけがえのない宝物です。
短い間でしたが、本当にありがとうございました。
横浜青葉シニアリーグ38期生を代表して、お別れとおん礼の言葉にさせて頂きます。
平成24年12月9日
横浜青葉シニアリーグ 主将 本城 カムイ
答 辞(シニア)
横浜青葉リトルシニア三十七期生を代表してお礼の言葉を申し上げます。
私達は全国制覇を目指して三年間この横浜青葉で日々練習にのぞみました。
今、目をとじるとあの神宮球場での試合がきのうの事のように浮かんできます。そしてあの時の悔しさもあふれてきます。
私達は木下コーチのように「何事にも全力」を見習って練習をしてきました。
ですが本当に何事にも全力でやったかときかれたら自信をもってはいと答えることはできません。思いかえせばたくさんの悔いがのこっています。
やはり、その悔いの分だけ全国制覇という言葉は遠くなっていたと今になって思います。
ですから後輩には木下コーチから受け継いだ「何事にも全力」で自分達が卒団して残った悔いを少しでも減らせるように残りの半年間をのぞんでほしいと思います。
最後になりますが、私達に指導してくれた監督、コーチ、私達を支えてくれた関係者、保護者の方々、そして天国で見守ってくれた木下コーチ本当にありがとうございました。
高校に行っても青葉で学んだことを忘れず日々努力していきたいと思います。
平成24年12月9日
横浜青葉シニア卒団生代表 福田 耕平
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