横浜青葉リーグ納会の送辞、答辞


2007年12月9日(日)
2007年度、横浜青葉リーグ納会の送辞、答辞を紹介

 横浜青葉シニアリーグのグランドで2007年度納会が行なわれた。その時の送辞、答辞を紹介する。

送  辞(リトル)

 先輩方、ご卒団おめでとうございます。
 先輩達と過ごした1年間で1番心に残っている事は、全国選抜大会です。 神奈川県一位という成績でこの大会に出場できたのは、チームが一丸となり、上手に皆を引っ張ってくれたからだと思います。
 結果は惜しくも準決勝でやぶれてしまいましたが、一生懸命戦っている先輩の姿を見て僕達は色々な事を学びました。
 全国という大きな舞台で、つちかった経験を生かし、目標としている全国制覇に向って、皆の気持ちを一つにし、先輩達が 残してくれた伝統を守り、感謝の気持ちを忘れずに力一杯頑張って行きます。先輩方も横浜青葉のリトルで学んだ事を 忘れずに精一杯力を発揮して頑張って下さい。

平成19年12月9日
リトルリーグ 主将 宅島 辰之祐

答  辞(リトル)

 出陣式の時、僕は「一人は皆のために皆は一人のために」という目標を掲げました。
 今年の一年間のことではなく、マイナー・リトルにいる間にいつもその目標が心にありました。
 結果リトルの最後には全国選抜大会三位という成績を残す事ができました。おもうような試合結果が出ない事も ありました。打てなくて悩んだこともありました。それでもリトルにいた二年間はとても充実していて、楽しかった 思い出でいっぱいです。
 これからも苦しいことがたくさんあると思いますが、野球を好きだという気持ちを持ちつづけていきたいと思います。 リトルの皆さん関東大会優勝おめでとうございます。僕達が行けなかったウイリアムスポートを目指して頑張って下さい。
 最後になりましたが、菊池監督を始めコーチの皆さん、お父さんお母さん僕たちを支えて下さってありがとうございました。

平成19年12月9日
リトル卒団生代表 菱田 純平

送  辞(シニア)

 先輩の皆様、御卒団おめでとうございます。
 先輩方はチームとしての第32期生として、また横浜青葉リトルシニアの第3期生として、このグランドで 汗を流されて参りました。
 久しぶりに多くの先輩方の姿を拝見すると、ある時は励まされながら、時に同じボールを追いかけ、共に練習 した日々が懐かしく思い出されます。
 先輩方は監督・コーチのご指導のもと、その技術を開花し、またチームとして抜群のまとまりを築きあげ、 関東大会準優勝や全日本選手権大会出場、全日本中学野球選手権大会出場という輝かしい成績を残され後に 続く僕達にとって本当に憧れの存在でありました。
 これからは僕達がその「横浜青葉」の伝統を受け継ぎ、夏の全日本選手権大会出場等、先輩方に負けない 実績をあげていけるよう一生懸命練習に励んでいきます。
 最後になりましたが、ご卒団されるお父様方、お母様方本当にお世話になりました。
 時に優しく時に厳しくいつもご声援頂いた事、感謝の気持ちで一杯です。
 本当にありがとうございました。またお時間のある時には、いつでもグランドにお立ち寄り頂き、僕達に ご指導頂ければと思います。
 以上で横浜青葉シニア、リトルリーグ部員を代表して送る言葉とさせて頂きます。

平成19年12月9日
シニアリーグ 在団生代表 高野 進之介

答  辞(シニア)

 リトルシニア第32期生、36名を代表しまして、吉野名誉会長をはじめ横浜青葉リーグ関係者の皆様方に 一言御礼を申し上げます。
 僕達32期生は本日をもちまして卒団することになりました。在団中は吉野名誉会長、田中会長、鈴木監督、 コーチの皆様、多くの方々に大変お世話になりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 シニアでの3年間は長いようであっという間にすぎていきました。
 毎日のように行なわれてた平日練習、休日は遠征し父母の皆様は僕達以上に忙しかったと思います。 また鈴木監督は毎日のように練習に参加され熱心に指導いただきました。
 そのかいありまして僕達は関東大会準優勝、日本選手権、ジャイアンツカップ出場できることが出来ました。
 僕達がこの横浜青葉リトルシニアで学んだことはチームワークの大切さです。 決して目立った選手はいませんでしたがチーム一丸となることによって一試合、一試合確実に勝利を収めてきました。 後輩の皆様是非チームワークを大切に何事にも一生懸命取り組んで下さい。
 最後になりましたが父母の皆様3年間お疲れ様でした。僕達はそれぞれの夢をめざし高校に進学します。
 どうかこれからも見守って下さい。
 横浜青葉リーグの発展を祈り、簡単ではありますが答辞の言葉とさせていただきます。

平成19年12月9日
シニア卒団生代表 加藤 龍真