2006年選抜大会(高校野球)

第78回全国選抜高校野球大会が甲子園で開催されます。
(2006/3/23〜2006/4/4)
横浜青葉(旧緑中央)リーグのOB達も各高校で活躍しています。
横浜高校が優勝しました。

決勝を控え甲子園球場に入場する横浜高校選手達 決勝戦は21−0で圧勝した横浜高校
決勝を控え甲子園球場に入場する横浜高校選手達 決勝戦は21−0で圧勝した横浜高校
準決勝_岐阜城北戦_3回表二死二、三塁で下水流が適時2点中前打を放つ 準決勝_岐阜城北戦_4回表二死満塁で福田が適時2点右前打を放つ
準決勝_岐阜城北戦_3回表二死二、三塁で下水流が適時2点中前打を放つ 準決勝_岐阜城北戦_4回表二死満塁で福田が適時2点右前打を放つ

毎日新聞より引用 2006/4/3、2006/4/4掲載
決勝
横浜     21 − 0 清峰          第12日 4月4日(日) 12:30
準決勝
横浜     12 − 4 岐阜城北       第11日 第一試合 4月3日(月) 11:00
準々決勝
横浜     13 − 3 早稲田実       第9日 第二試合 3月31日(金) 13:30
第2回戦
早稲田実   4 − 3 関西(岡山)      第8日 第一試合 3月30日(木) 9:30(再試合)
第2回戦
横浜      7 − 6 八重山商工(沖縄) 第7日 第二試合 3月29日(水) 11:00
早稲田実   7 − 7 関西(岡山)      第7日 第三試合 3月29日(水) 13:30
東海大相模 2 − 3 清峰(長崎)      第8日 第二試合 3月30日(木) 12:00
第1回戦
横浜      1 − 0 履正社(大阪)    第2日 第二試合 3月24日(金) 12:00
早稲田実   7 − 0 北海道栄(北海道) 第3日 第二試合 3月25日(土) 12:00
東海大相模 4 − 1 京都外大西(京都) 第4日 第三試合 3月26日(日) 14:30

毎日新聞 2006/4/4付
センバツ:涙止まらず…横浜・福田主将
九回裏。捕手の守備につくと、もう涙が止まらなかった。4日の第78回センバツ決勝。清峰(長崎)に大差を付け、優勝を目前にした横浜(神奈川)の福田永将(のぶまさ)主将(3年)は、中学時代のスター選手ばかりでチームがばらばらだった昨年を思い返し泣いていた。ストレスから入院もした。だが、この日、仲間は最後までチーム打撃に徹した。ウイニングボールを手渡された渡辺元智(もとのり)監督(61)が「ありがとう」とねぎらうと、福田主将はうれし涙をぬぐった。
「主将は福田に任せる」。新チームが発足した昨夏。渡辺監督から突然指名された。例年は選手の投票で決めており、級長を務める下水流(しもずる)昂(こう)選手(3年)が文句なしの主将候補だっただけに「なぜ、おれが主将に」といぶかった。
試練はすぐ来た。シート打撃はすぐに集中力を失い、渡辺監督はあきれたように言った。「お前たちにはもう教えたくないよ」。監督室まで行き、「戻ってきて下さい」と頼むのは主将の仕事だった。
ひたすら耐えた。だが、チームはまとまらない。「全力疾走しよう」「声出そうぜ」。福田主将の呼び掛けに、仲間は振り向かなかった。
「自分でもやれないのに厳しい指示は出せない」。愚直な姿勢は、徐々に仲間の心を引きつけた。転機は昨秋の神奈川県大会決勝。相手は今センバツにも出場した東海大相模。打席に仲間が立っても、ベンチでは雑談が続く有り様だったが、2点を追う最終回、内野安打で出た選手が一塁に立つと、誰彼となく「打ってくれ」と口にした。チームワークが芽生えているのを感じた。試合は8−5で逆転勝ちした。
福田主将を支えたのは、小学校から一緒にプレーしてきた4番の下水流選手。「福田は大変だと思う。自分が支えないと」と副主将を務め、「厳しい指示」を出すことを買って出た。同じ副主将の白井史弥選手(3年)も「1番打者としてチームを引っ張る」とリーダーシップを発揮した。
この日の清峰戦。浦川綾人投手(2年)が最後の打者を打ち取ると、選手は人さし指を突き上げ、マウンドになだれ込んだ。「勝ちたいだけだったチームが勝つためにチームワークのことを考えてくれた」。歓喜の輪の中で、福田主将は泣いた。渡辺監督は「じっと我慢ができる福田を主将に選んでよかった。また、夏に向けて怒られてもらわないと」と晴れやかな顔で選手を迎えた。【稲田佳代、池田知広、平川哲也】
毎日新聞 2006年4月4日 21時24分


神奈川県では横浜高校と東海大相模高校が出場します。登録メンバーは2006年2月22日の神奈川新聞より。
早稲田実業の情報が入りましたら追記します。
掲載内容で間違いの箇所がありましたらメールでお知らせ下さい。

神奈川県
【横浜】
監督 渡辺元智
背番号 選手名  学年 守備
 @  川角謙  (2) 投手 
 A ◎福田永将 (2) 捕手 
 B  岡田龍明 (2) 一塁手
 C  白井史弥 (2) 二塁手
 D  高木泰昌 (2) 三塁手
 E  高濱卓也 (1) 遊撃手
 F  越前一樹 (2) 左翼手
 G  下水流ミ (2) 中堅手
 H  古城知明 (2) 右翼手
 I  浦川綾人 (1) 投手 
 J  西嶋一記 (2) 投手 
 K  麻生知宏 (2) 捕手 
 L  佐藤賢治 (2) 外野手
 M  橋本勝輝 (2) 内野手
 N  山本賢秀 (2) 内野手
 O  飯田啓太 (2) 外野手
 P  深田将史 (2) 外野手
 Q  落司雄紀 (1) 投手 
【東海大相模】
監督 門馬敬治
背番号 選手名  学年 守備
 @  高山亮太 (2) 投手 
 A  鈴木宏治 (2) 捕手 
 B  田中大二郎(2) 一塁手
 C  田中広輔 (1) 二塁手
 D  村瀬隆浩 (2) 三塁手
 E  竹内和宏 (2) 遊撃手
 F  小玉雄介 (2) 左翼手
 G  長谷川隼也(1) 中堅手
 H ◎兵動悟  (2) 右翼手
 I  藤田大  (2) 投手 
 J  長谷川将也(2) 投手 
 K  伊藤直人 (1) 捕手 
 L  佐藤全志 (2) 内野手
 M  田中将  (2) 内野手
 N  石丸健太 (2) 外野手
 O  成田義教 (2) 外野手
 P  竹澤雄一 (2) 投手 
 Q  高橋辰徳 (2) 内野手
東京都
【早稲田実】
監督 和泉実
背番号 選手名  学年 守備
 @  斎藤佑樹 (2) 投手 
 A  白川英聖 (2) 捕手 
 B  桧垣皓次朗(2) 一塁手
 C  内藤浩嵩 (2) 二塁手
 D  小柳竜巳 (2) 三塁手
 E ◎後藤貴司 (2) 遊撃手
 F  船橋悠  (2) 左翼手
 G  川西啓介 (1) 中堅手
 H  小沢秀志 (1) 右翼手
 I  関本雷二 (2) 投手 
 J  塚田晃平 (1) 投手 
 K  古山将  (1) 捕手 
 L  神田雄二 (2) 内野手
 M  高橋俊輔 (1) 内野手
 N  中山浩太 (2) 外野手
 O  佐藤泰  (2) 外野手
 P  林口隼也 (2) 外野手
 Q  小沢賢志 (1) 内野手

毎日新聞 2006/2/16付
◇主将の重責凛として−−横浜・福田永将捕手(2年)
「最近よく思うんですけど、もしかして捕手に向いてないんじゃないかなって。どんくさいし肩弱いしリードも良くないし。なんでだろう」。1年生の夏の甲子園からメンバー入りした17歳が不思議そうにつぶやいた。「でも試合を動かせるのが好き」。2死から三振をとってキャッチボールしながらベンチに戻る瞬間、高揚感に満たされる。
高校通算35本塁打のスラッガー。04年の夏前、練習試合で安打を量産して以来チームの中心選手の一人であり続ける。「ダルビッシュから右前に打ったんですよ」と誇らしげに語り「でも、けん制アウトになってショックでした」と笑わせた。大胆に、謙虚に、打撃への自信をのぞかせる。
それでも、奔放で個性の強いチームをまとめる「主将の責任が第一」と言い切る。双肩にかかる捕手、4番、主将という三つの肩書のその重さ。ストレスで調子を崩し、センバツ出場は病室で知った。「練習の雰囲気は全部俺(おれ)のせいですから」。率先して声を出す、凛(りん)とした背中がチームを引っ張っていく。【稲田佳代】

毎日新聞 2006/2/23付
◇父子の夢へ、ひたむきに−−東海大相模・小玉雄介左翼手(2年)
「お前のおやじ、(横浜の)渡辺監督に似てるな」。シニア時代から友人たちの話題だった。そんな父(52)は、まったく野球をやったことがない、野球好き。長嶋茂雄に胸を焦がした少年時代、まわりは野球のできる環境ではなかった。野球への夢は息子へ引き継がれた。
小学生のころ、家の駐車場にティーネット、大きな鏡、そして強力な白色灯が備えられた。夜間練習。軽快な木製バットの音を夜遅くまで響かせた。「厳しかった」。横にはいつも父がいた。白色灯が照らす中、無心にバットを振った。
深夜12時を過ぎて、室内練習場のマシンを打つこともある。夜の自主練習は、誰よりも遅くまでバットを振る。「小さい時、夜打ってきたから、今も平気」。今は、仲間がボールを送る。
昨秋、打順が1番に上がった。「1番打者は1番バットを振らないと」と覚悟を決めた。「まじめ過ぎるくらいまじめ」。父は頼もしく息子を評する。バットを振ることでうまくなってきた。甲子園に響かせる快音が、アルプスの父の夢に重なる。【池田知広】

毎日新聞 2006/2/24付
◇鍛えた体が努力示す−−横浜・下水流昂(しもずる・こう)中堅手(2年)
1週間も見ていれば誰でも気づく。なぜかあまり怒られない選手が一人。センターから筋肉に包まれた全身をバネに返球。「それでいいんだよっ!」。めったに出ない小倉清一郎部長のお褒めの言葉に、苦笑するようにはにかんで帽子を脱ぐ。
頭の切れるリーダータイプ。教室では級長も務める。だが、主将は小学校からいつも一緒に野球をやってきた福田永将君。「常にスターが横にいる状態です」。ホームランバッターを目指しても、人懐こい笑顔の福田選手がいつも“隣のちょっと上”に居た。「ライバルは福田」。手は届く。自分もいつか同じ場所に立てるようになりたい。「あいつが出て自分が出ないんじゃ地元帰れないっすよ」
自分はつくづく意思が弱いと思う」。並びたい存在に近づくための努力はまだ足りないと謙遜する。自主性に任せられた冬の筋トレ。春を迎え、風を切り裂く素振りのたびに塊のような背筋が浮かび、厚みを増した下半身が正確で素早いステップで塁を蹴る。その体は、決して謙遜してはいない。【稲田佳代】

毎日新聞 2005/3/21付
◇人間対人間の葛藤(かっとう)の場−−横浜・渡辺元智監督(61)
やる気の感じられない選手らにあきれて引き揚げた監督室。「長くやり過ぎちゃったな」と頭をかきながらうそぶく。脳こうそく以来思わしくない体調。休むつもりが「気がついたら来ちゃってたよ」とグラウンドに吹く海風に目を細める。大声や感情の振幅は持病の大敵でも、それが監督の仕事、と腹をくくる。
その口から「甲子園に行きたい」という言葉は出ない。「行かせてあげたい」そして「勝たせてあげたい」。甲子園出場22回、優勝4回。強豪校に周囲が期待する最低ラインは高いが、名将の誇りよりも、選手らに努力がもたらす果実を味あわせたい一心が上回る。
力のある選手と努力の選手。一方だけで勝てるチームは作れない。わがままになりがちな力ある選手にはチームを引っ張る責任を説き、努力の選手にチャンスを与える。野球を通じた人間教育と、勝負の厳しさを共存させる難しさ。「良い選手をたくさん犠牲にしたし、失敗もした」。それでも、そこから逃げたことはない。一度も。選手の気持ちのありかを探り、家族や生活に心を砕き、時に養子縁組を考えるほど、一人一人と体当たりで向き合ってきた。
「学校というところはいいね」。野球の勝敗もさながら、選手がどんな人生をどう生きるのかに思いを馳せる。高校野球のだいご味は、年月を経るほどにその深みを増していく。【稲田佳代】

毎日新聞 2005/3/21付
◇すべてを引き受ける−−東海大相模・門馬敬治監督(36)
付き合う人々がみんな仲間になる。横浜商、桐蔭学園……。3月、高校時代のライバルだった各校の同級生数十人が集まり同期会が開かれた。次々に「センバツ頼むよ」の声。どこへ行っても「門馬軍団」ができてしまう、吸引力を持つ。
「監督は最高決定機関」。野球部はトップダウン型だ。「(監督は)すごく怖い」と選手の声。理由がある。87年、夏の県大会決勝で、満身創痍(まんしんそうい)の体を隠して出場、自分のバントミスで甲子園を逃した。主将の責任を果たすつもりが、チームの負けにつながった。だから、「選手の自主性」に任せない。勝利のため、監督はすべてを見る責任があると信じる。怖さは、すべてを引き受ける裏返しなのだ。
00年、監督就任1年目で頂点に駆け上がった。だが、それからは不安が支配した。「『来たんだ、ここ(頂点)まで』はほんの一瞬」。勝つのが当然の中、結果がついてこなかった。「お前たちが苦しい時はおれも苦しい」。寮の横に住み、選手と共に戦い、素直に心を語れるようなった。
秋季県大会、勝ち越し本塁打の田中大二郎選手を、両手を広げ、はじけるような笑顔で迎え入れた。「去年より、気持ちをストレートに出せるようになった」。怖い監督の素直な表現は選手を何より鼓舞する。力強い手応えを感じつつある。再び頂点を見るための。【池田知広】


*毎日新聞での掲載順。