横浜青葉リーグ納会の送辞、答辞


2005年12月11日(日)
2005年度、横浜青葉リーグ納会の送辞、答辞を紹介

横浜青葉シニアリーグのグランドで2005年度納会が行なわれた。その時の送辞、答辞を紹介する。

送  辞(リトル)

先輩方、ご卒団おめでとうございます。
去年の秋、リトルに上がった、ぼくたちをやさしくむかえてくださり本当にありがとうございました。今年は、二月の浜松遠征からはじまり、夏合宿は仙台へ行きました。きびしい練習をのりこえ、いどんだ全日本予選、準優勝だったくやしさは、忘れません。 辛かったのは、昨年度、ぼくらのために いつも一緒にいてくださった山本母親代表のご子息たすく先輩が突然なくなれたことです。この悲しみをわすれることなく たすく先輩の分まで野球をずっと続けていきたいと思います。
全国大会優勝の夢にむかって先輩たちに教えていただいた通りに野球の楽しさを思い出しながらチーム一丸となって頑張っていきたいと思っています。
最後になりましたが、これからも大好きな野球をやらせてもらっているんだという感謝の気持ちを忘れずに頑張っていきたいと思っています。

平成17年12月11日
リトル主将 猪口 若史

答  辞(リトル)

先輩方が卒団し新たに横浜青葉となった年にキャプテンを引き継ぎ嬉しさと不安との戦いでスタートした一年前がついこのあいだの様に感じられます。とにかく声を出し必死で皆と頑張ってきました。
関東大会では三位でしたが 千葉市リトルに勝って次の自信つながりました。夏の大会ではチーム一丸となって最高の喜びを感じる事ができました。
しかし、得失点差ではたすことができなかった全国大会 とても悔しい思いをしました。僕達にかわって後輩達には、是非出場してもらいたいと思います。
  そして今日横浜青葉を卒団し後輩達にバトンタッチをします。
監督、コーチをはじめ暖かく応援して下った皆様には本当に感謝の気持ちで一杯です。僕達はまた新たなスタートに立ち野球を続けています。どうか これからも見守ってください。

平成17年12月11日
リトル卒団生代表 宅島 慎太朗

送  辞(シニア)

先輩の皆さん、御卒団おめでとうございます。先輩方は緑中央第三十期生であると同時に、新生横浜青葉の記念すべき第一期生でもあります。
先輩方は、監督、コーチの厳しい指導に歯を食いしばりながら、週末のみならず春からの平日練習にも励んで来られました。その努力の結果、夏の全日本選手権大会でのベスト8という輝かしい成績を残されました。江戸川球場での気合の入った岐阜東濃 戦、神宮球場での気合に満ちた静岡裾野戦、府中球場にて気力で戦った三田シニア戦 どの試合も応援に行った我々後輩にとって忘れられない感動的な試合でした。
僕達も先輩方から学んだ努力する事の大切さを胸に刻み、これからも練習に励んでまいります。
そして、来年の全日本選手権大会では、先輩方を超えられる様な成績を残し横浜青葉の名を全国に浸透させたいと思います。
先輩方は高校に進学された後も横浜青葉で培った不屈の精神を忘れずに何事にも前向きに頑張ってください。
最後になりましたが、先輩方のお父さん、母さん方、大変お世話になりました。いつも優しく温かく声援して頂き感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。時間のある時には、いつでもグランドのお立ち寄り下さい そして僕達を叱咤激励してください。
以上で、横浜青葉シニアリーグ部員を代表して送る言葉とさせていただきます。

平成17年12月11日
シニア主将 水野 崇史

答  辞(シニア)

シニア卒団生を代表しまして、吉野会長をはじめ横浜青葉リーグ関係者の皆様方に一言お礼を申し上げます。
僕達三年生三十四名は、本日をもちまして卒団することになりました。
在団中は吉野会長、鈴木監督をはじめコーチの皆様、審判団の皆様他、多くの方々にお世話になりました。有難うございました。また、ただ今後輩の皆さんより心温まる送辞をいただきありがとうございました。僕達が高校生活で壁にぶつかった時、その一言ひとことは苦難を乗り越える活力になることと思います。振り返ってみると長いようでとても短い三年間でしたが、特に僕達がトップチームになってからの この一年間は、決して忘れる事のできない大切な年になりました。まず、緑中央シニアとして出場した秋季南関東大会、他のどのチームよりも多くの試合を戦った末やっとのことで関東大会へのキップを手にしましたたが、関東大会では一回戦で羽村シニアに惜敗、 次にチーム名が横浜青葉になり、その名を全国に知らしめようと心機一転して臨んだ春季南関東大会 気合が空回りしてしまい自分達の力を十分に発揮できないまま敗退 しかし、そこから鈴木監督が平日も僕達の練習をみてくださるようになり力がさらにめきめきとついていきました。 そして夏季南関東大会 連日の暑さの下、全員野球で数多くの一点差ゲームや延長戦をものにして三位に入賞することができました。なかでも延長十一回まで死闘を繰り広げた対逗子戦 一点差で負けていた七回裏「俺達がやってきた練習はこんなところで負けるためにやっきたんじゃない」という言葉で盛り返し、見事に追いつき粘りに粘って勝つことができました。あの時ほどチームの一体感を感じたことはありませんでした。そしてつかんだ日本選手権出場権、シニア生活最後に日本選手権に出場できることは最高の締めくくりです。たくさんの方々の応援の中で、設備の整った大きな球場でプレーできる喜びを噛みしめながら試合に臨みました。一回戦、対岐阜東濃シニア戦 東海ナンバーワンキャッチャーがいるチームに、相手打線を二本に抑えるピッチングと好調な打線がしっかり噛み合い六対〇で勝つことができました。 二回戦、対静岡裾野シニア戦 このチームには関東大会準決勝戦で負けていました。そのリベンジに全員が燃えウォーミングアップの時から大きな神宮球場の周りを全力で二周走るほど気合が入っていました。試合は投手陣の好リレーと相手のエラ―につけこむ、得点で三対二と得意の一点差ゲームをものにしました。そして迎えた三回戦、対三田シニア戦 このチームには最速137キロメートルの高校級の投手がいました、関西のどのチームもこの投手相手に一点もとれないほど素晴らしい投手でした、その投手から三回の表に先制し、試合の主導権は僕達がつかんでいました、しかし、五回の裏に三連打を浴びて二点取られてしまい逆転されてしまいました、その後試合は動かず、最終回の七回表の円陣で「負けてしまうのか」という不安から涙ぐんでいた皆の顔を今でも憶えています。試合はそのまま負けてしまいました。試合後、控え室で涙枯れるまで皆で泣き続けたことは今となってはいい思い出です。
野球はやはり一人ではできないスポーツです。そこで後輩の皆さんには、僕達卒団生より「 ONE  FOR ALL ・  ALL  FOR  ONE 」という言葉を送ります。一人は全員のために努力し、全員は一人がミスをしてもそれを励ましカバーするということです。そうすれば結果は自ずとついてくることでしょう、また、野球を通じて出会った仲間を大切にしてほしいと思います。
最後になりましたが、父母の皆様方には、お忙しい中早朝よりグランド整備やお茶当番そして応援にと常に励ましていただき気持ちよく練習や試合が出来た事を心より感謝いたします。僕達は横浜青葉で学んだ 努力 友情 感謝 する心を大切に、残念ながら天国に行ってしまった 山本 擁 の分も高校生活を頑張っていきます。
横浜青葉レッドソックスの益々のご発展をお祈りして簡単ですが答辞とさせていただきます。
本当にありがとうございました。

平成17年12月11日
シニア卒団生代表 吉野 泰一