2005年選抜大会(高校野球)

第77回全国選抜高校野球大会が甲子園で開催されます。
(2005/3/23〜2005/4/4)
緑中央(現横浜青葉)リーグのOB達も各高校で活躍しています。

決勝
愛工大名電(愛知)  9−2 神村学園(鹿児島) 第12日 4月4日(月) 12:30

準決勝
愛工大名電(愛知)  8−6 神戸国際大付(兵庫) 第11日 第1試合 4月3日(日) 11:00
羽黒(山形)       0−4 神村学園(鹿児島)  第11日 第2試合 4月3日(日) 13:30

準々決勝
慶応     1−15 神戸国際大附(兵庫) 第9日 第1試合 4月1日(金) 11:00

第2回戦
慶応     3−1 福井商(福井) 第6日 第4試合 3月29日(火) 16:00
東海大相模 3−7 東邦(愛知)  第8日 第1試合 3月31日(木) 9:30

第1回戦
3月23日開会式後、雨のため試合が順延となり次のように変更なりました。
慶応     8−7 関西(岡山)   第1日 第3試合 3月24日(木) 14:30
東海大相模 8−3 三本松(香川) 第4日 第2試合 3月27日(日) 12:00


試合の詳しい情報は毎日新聞のHPに掲載されています。

神奈川県では東海大相模高校と慶応高校が出場します。登録メンバーは2005年3月21日の毎日新聞より。
掲載内容で間違いの箇所がありましたらメールでお知らせ下さい。

神奈川県
【東海大相模】
監督 門馬敬治
背番号 選手名  学年  守備
 @  小泉圭市 (3) 投手 
 A  鈴木宏治 (2) 捕手 
 B  田中大二郎(2) 一塁手
 C  小玉雄介 (2) 二塁手
 D ◎角一晃  (3) 三塁手
 E  竹内和宏 (2) 遊撃手
 F  岩崎巨之 (3) 左翼手
 G  小林亮  (3) 中堅手
 H  兵動悟  (2) 右翼手
 I  藤田大  (2) 投手 
 J  高山亮太 (2) 投手 
 K  村瀬隆浩 (2) 捕手 
 L  石丸健大 (2) 外野手
 M  金丸健太 (3) 内野手
 N  水原弘達 (3) 内野手
 O  上邨秀人 (3) 外野手
 P  須田翔大 (3) 外野手
 Q  竹沢雄一 (2) 投手 
【慶応】
監督 上田誠
背番号 選手名  学年  守備
 @  中林伸陽 (3) 投手 
 A  鹿毛雄一郎(3) 捕手 
 B  湯浅亮一 (3) 一塁手
 C  高尾康浩 (2) 二塁手
 D  渕上仁  (2) 三塁手
 E ◎漆畑哲也 (3) 遊撃手
 F  谷地俊太郎(3) 左翼手
 G  山口尚記 (2) 中堅手
 H  竹内一真 (2) 右翼手
 I  福山敦士 (2) 投手 
 J  忠本孝英 (3) 投手 
 K  高橋玄  (3) 捕手 
 L  大久保直光(3) 一塁手
 M  長谷祐之 (3) 内野手
 N  佐藤廉  (3) 外野手
 O  佐藤光  (3) 投手 
 P  新谷拓也 (2) 右翼手
 Q  平川敬悟 (2) 一塁手
*須田翔大君は緑中央リトルリーグのOBです。

毎日新聞 2005/2/20付
◇練習重ね、自分追い込む−−東海大相模・小玉雄介二塁手(1年)
グラウンドに棒立ちになった177センチ、75キロの大型二塁手。音のないダイヤモンドを逆転の走者が駆け抜けた。
全勝で関東大会に乗り込む。そう決めて臨んだ県大会決勝戦だった。七回裏2死二、三塁。平凡なゴロを難なくさばいたが一塁に悪送球。「頭の中が真っ白になった」
「ゲームは楽しめ。結果を先に考えるな。やることをやれば必ず神様は見ていてくれる」。県大会中、入院していた門馬敬治監督から贈られた言葉を思った。「練習で苦しもう」
秋季関東大会までの1カ月間、コーチに頼み、練習後にさらにノックを受けた。捕球、送球の繰り返し。同大会で送球ミスはなかった。「守備に自信が出てきた」。でも、手は抜かない。練習を重ね自分を追い込む。
センバツで、野球の神様のほほ笑みを見たいから。【鈴木一生】

毎日新聞 2005/2/26付
◇地道な努力で道を開く−−慶応・福山敦士投手(1年)
急いでいてもあいさつはおろそかにしない。背筋を伸ばし深々と頭を下げる。「普通に歩くだけで笑われる。いじられキャラなんです」。ひたむきさが仲間に愛される。
不器用な方だと思う。走塁練習でスタートを間違え、グラウンド3周のペナルティーをもらってしまった。「体で覚えるしかない」。順番を待つ間、失敗した動作を黙々と繰り返す。
筋力強化、バント練習……。自宅の机に課題をびっしり書き連ねた画用紙が張ってある。挙げた目標は50個以上。「まだ達成できないものばかり。でも練習は裏切らない。深く考え反復です」。地道な努力が道を開くと信じている。
甲子園では窮地を救う投球が期待される。「先輩のためにも限界まで投げ抜きたい」。眼鏡の奥の目がキラリと光った。【堀智行】

毎日新聞 2005/3/4付
◇元気な掛け声が戦力に−−東海大相模・上邨秀人外野手(2年)
日が沈んだグラウンド。ナイター施設がヘトヘトのナインを照らす。もう声も出ない。
「さーいこうぜ」。「まだまだ」。一人、元気な声が響く。その声にナインが奮い立つ。「自分が声を出し続ければチームが静まることはない」。チームでの役割を自覚する副主将だ。
試合では、ズボンの右ポケットにコールドスプレーをねじ込み一塁コーチボックスへ全力疾走。「慌てるな」。「自分のスイング」。強打の打線はこの声ではじける。「ガチガチの打者が自分の声で落ち着き安打を放つとうれしい」。声が大きな戦力になっている。
センバツでも役割は変わらない。「常に声を出し続ける」。苦しい時にはいつも、檄(げき)を飛ばした。そして広い甲子園。16番がベンチから猛ダッシュで一塁コーチスボックスを目指す。【鈴木一生】

毎日新聞 2005/3/5付
◇信頼に応えるよう準備−−東海大相模・須田翔大外野手(2年)
関東大会。試合終盤になると、決まってベンチ脇でキャッチボールを始めた。「監督、おれはいつでも行けますよ」。無言のデモ。「足と守備はレギュラーに負けない」と自信がある。しかし、監督は最後まで名前を呼ぶことはなかった。
関東大会優勝にはしゃぐ帰りのバス。ひとしきりの喧騒(けんそう)の後、ウオークマンを耳に自問する。「なぜ出番がない?」。自分の守備が信頼されていないことに気付いた。
内外野の連係プレー。低く抑えた送球を捕手のミットにストライクで投げる。「出番はカットなしで本塁で刺せるかの一発勝負」。練習の一球ではなく「試合を決める一球」の意識が生まれた。惰性で練習はしない。
センバツでは、厳しい場面で名前を呼んでほしい。信頼にガッツポーズで応える準備はできている。【鈴木一生】

毎日新聞 2005/3/11付
◇頂上に答えを求めて−−東海大相模・門馬敬治監督(35)
じりじりとした日差しに焼かれ、夏のグラウンドに立っていた。
昨年7月末。県大会敗戦後、「なぜ勝てないんだ」と自問自答を繰り返し、答えを求めて福岡の地を訪れた。原貢元監督が65年の夏に甲子園初出場初優勝に導いた三池工業高だ。「東海大相模の原点を垣間見たい」 当時の関係者に「原野球の強さとは」と聞いて回った。少しのヒントでも欲しかった。それでも答えは出なかった。
自身は、そんな苦悩を抱えたまま、新チームはスタートした。秋季県大会前、突然の心臓の病気で緊急入院した。病院のベッドの上から試合のビデオやスコアブックを見てナインにアドバイスを送った。「負けるのではないかと不安でいっぱいだった」と振り返る。 だが、チームは勝ち続けた。県の頂点に立ち、関東も制した。うれしかった。ナイン一人一人と交わした握手。口をへの字にして涙をこらえた。 喜びの半面、指揮官の頭にはすぐ「答えは?」の文字が浮かんだ。「なぜ勝てないのか」。夏からの疑問にまだ答えは出ていないのだ。
5年ぶりのセンバツ出場で周囲はわいている。「全国制覇」の声も聞こえる。しかし、頭には、勝てなかった5年間がある。「なぜ勝てないのか」。いまだ出ない答え。春の甲子園に探しに行く。頂上にはきっとあるはずだ。【鈴木一生】

毎日新聞 2005/3/11付
◇“楽しむ野球”で挑む−−慶応・上田誠監督(47)
センバツ出場の喜びは予想以上だった。「おれこんなに甲子園に出たかったんだなあ」。1月31日、ナインの歓喜の胴上げに1回、2回と宙に舞うと、目には涙がにじんだ。
古豪復活をだれもが期待した。就任5年目の95年、春夏県大会準優勝を飾った。だが色めき立つ周囲をよそに「あと1勝の難しさ」を痛感していた。
「神奈川では、底力と選手層の厚さがないと勝てない」。ヒントを求め、98年に米国留学。留学先で見たのは豪快な野球。だが豪快に見えて、球を遠くへ飛ばすための緻密(ちみつ)な理論が息づいていた。「野球は点取りゲーム。目が覚めた」 帰国後、選手にしっかり振り抜き、球をより遠くへ飛ばすことを説いた。
甲子園に出場することだけを目標とするのではなく、将来指導者になって、野球の魅力をあますことなく伝えてほしいと願う。就任当初から、プレーからメンタルトレーニングまでに至るマニュアルを何十冊も作り、取り組んだ。
やっとつかんだ甲子園切符。思えば学生時代から心の隅であこがれ続けていたことに気がついた。「もちろん勝負にはこだわる。でもどんな状況でも、楽しそうに野球やってるな。野球好きそうだなと思ってもらえる試合がしたい」。就任15年で培った“エンジョイベースボール”で挑む春はきっと長くなる。【堀智行】


*毎日新聞では3月21日より新学年での学年表記になる。